【闇深】クリスマスプレゼントに「算数の本」をねだったあの子の話

もうすぐクリスマスですね。

という訳で、今回はクリスマスプレゼントにちなんだ話をしたいと思います。

僕が小学生のころ、よくクリスマスプレゼントにゲームをねだっていました。その度に僕の両親は「やれやれ」といった表情をします(それでもゲームは買ってくれました)。

ある年のクリスマス。例年通りゲーム機をねだったところ、僕の両親はこれみよがしにこう言ったのです。

あなたのお友達の鈴木くん(仮名)のママに聞いたんだけど、鈴木くんはクリスマスプレゼントに「算数の本」をほしがったんだってよー。えらいよねー。あなたも本にしなさいよ。

この言葉を聞いた僕は、素直に「へー、鈴木くんはクリスマスプレゼントに頼むほど本が好きなのか。えらいなぁ」と思いました。

ですが「でも僕はゲームがほしいんだ」と主張したところ、両親は呆れかえったような顔でそれ以上何もいうことはありませんでした。そして僕はその年もゲームを買ってもらいました。

あれから20年ほど経ちます。

この何気ないエピソードについて、僕は色々と思うところがあります。

鈴木くんは本当に「算数の本」がほしかったのか

クリスマスプレゼントに算数の本をねだった鈴木くんですが、彼は本心からそれがほしかったのでしょうか。僕は違うと思っています。

鈴木くんの母親は、教育熱心なことで有名でした。だから彼は算数の本をねだることで親が喜ぶと知っていて、それをほしがるフリをしたのでしょう。子供が成長する過程で、非常に危険な気持ちの押さえつけ方だと思います。

彼が本当に欲しかったものが、自転車かプラレールか、はたまた僕と同じゲーム機かは分かりません。ですがそれらの気持ちを心の奥底にしまい込んで、親を喜ばせるために「算数の本」をねだるような行動が、健全な心を育むでしょうか。

そしてもし鈴木君の母親が、息子の言葉を鵜呑みにして「えらいえらい」などと言いながら算数の本を渡したとしたら、まさしく「闇深」ってヤツです。

大人になった鈴木くんの心に影が差していないか、勝手ながら心配になります。

そもそもプレゼントとは何か

そもそもプレゼントって何のために贈るんでしょうか。色々な意見があると思いますが、僕は「相手を喜ばせるため」だと思っています。相手を喜ばせるためには、相手が本当に欲しいと思っているものを贈る必要があります。

例えば、クリスマスプレゼントに僕はゲームをほしがっていました。しかし僕の親が、ゲームを買い与えても僕の人生のためにならないと考えたとします。

そして「心豊かな人間になってほしい」と願い、ゲームではなく児童文学の名著を贈ったとします。果たしてこれは「プレゼント」でしょうか。

あくまで僕の考えですが、これは「プレゼント」ではありません。

もちろん、僕がその児童文学の本を読んだことによって実際に心が豊かになり、実りある人生を送れたとしたら、僕はその贈り物の恩恵を受けたことにはなります。それでもそれはプレゼントではないのです。なぜなら僕が欲しがっていたものは「ゲーム」であって「児童文学の本」ではないからです。

子供が本当にほしいもの(ゲーム)を知っていながら、それとは別のもの(児童文学の本)を一方的に手渡すことはプレゼントではありません。

結果的に恩恵を受けたんだからプレゼントだろ! 親が子供の人生を想って渡したものを「プレゼントではない」とはどういう了見だ! と憤る方もいるかもしれません。

ですがそれならば「クリスマスプレゼント」としてではなく「ただ渡せば」よいのです。

親が本当に「子供の人生のためになる」と確信しているものであれば、クリスマスや誕生日なんかに関係なく渡したいと思うはずです。なのになぜわざわざそれらの記念日まで待って渡すのか。反感を買う書き方かもしれませんが、「経費削減」したいからではないでしょうか。

クリスマスや誕生日に子供からゲームをねだられる事が分かっていて、でもくだらないゲームなんかに大金を出したくはない。だから「子供のためを想って」という大義名分のもと、ゲームのおねだりを拒絶し、代りにプレゼントという名目で「児童文学の本」を渡すのです。こうすれば「プレゼントを渡した」という事実を作りつつ、ゲームを買わずに済みます。

これは親の価値観の押し付けであって、「プレゼント」ではありません。

繰り返し書きますが、親が子供の人生のためを想って児童文学の本を贈ることはとても良いことです。ですが子供がそれを「欲しい」と言っていない以上、それはプレゼントではありません。したがって、クリスマスや誕生日といった時期を外して渡すか、それらの記念日に子供がほしがっているものに「加えて」渡すべきなのです。

だから僕は親に現金を渡している

僕は親の誕生日やクリスマスには欠かさず「プレゼント」を渡していますが、ほとんどの場合それは「現金」か「金券」です。

僕は社会人になってから親と離れて暮らしているので、親が今何をほしがっているのかが分かりません。勝手に想像で選んで渡すこともできますが、リスクが高すぎます。だから僕は「これで本当に欲しいものを買ってくれ」という気持ちを込めて現金を渡しています。

「贈る側が相手のことを想ってプレゼントを選ぶという『気持ち』自体がプレゼントなのであって、品物が何であるかは関係ない」という声も聞きます。その考えを否定するつもりはありませんが、僕のプレゼントの定義は「本当に相手が欲しいと思っているものを贈る」ことなので、その定義に対して一番確実なのが現金を渡すことなのです。

現金はプレゼントではないという意見もあると思いますし、むしろそう考える人の方が多いかもしれません。ですが僕のプレゼントの定義上では現金はプレゼントに当たる(相手が本当に欲しいものが買える)ので、これで良いと思っています。

まとめ

もし僕が「子供の人生のためを想って記念日のプレゼントに児童文学を贈る親」と同じ価値観で、還暦を超えた僕の親に渡すプレゼントを選んだとします。そうした場合、僕が選ぶ品物は以下のようなものになるでしょう。

  • 老後のお金のやりくりに役立つ本
  • 健康で長生きできる食事の作り方のDVD
  • 血圧測定器

どうでしょうか。

親からすれば「自分のことを想ってくれているのは伝わるけど、誕生日やクリスマスのプレゼントとしては、う~ん……」と思うラインナップではないですか?

上記の商品を渡すこと自体は悪いことはではありません。しかし記念日のプレゼントにはなりえないと思います。

だから僕は今後も両親へのプレゼントは、「現金」を渡し続けるでしょう。