就職して初めて家を出て一人暮らしを始めた時、最初の勤務地は実家から新幹線で3時間ほどの距離でした。
それから2年ほどしてから異動が発令され、実家から鈍行の電車で2時間ほどの近場に転勤になりました。
それ以降、僕は毎週末になると必ず実家に帰って過ごしていました。
今回はその時に考えていたことをゆる~く語ります。
もくじ:
- 親に溺愛されていた大学生時代
- 異動で実家近くに住むことに
- 実家で何をしていたのか
- 実家に帰ることに疑問を抱き始める
- 中々親に言い出せない
- ついに告げる
- 帰らなくなった
- 1年経って変わったこと
- 自分が帰る代わりに、相手に来てもらうようにした
- 親の死後のことを考える
- まとめ
親に溺愛されていた大学生時代
大学生時代は実家住みで、連休になるとよく親に誘われて一緒に遊びに出かけていました。出かける先はショッピングモール、映画館、家電量販店といった当たり障りのないところです。
大学生といえば友達や恋人との付き合いが盛んな時期だと思いますが、僕はプライベートで友達と遊びに行ったこともあまりなく、傍から見たら成人になっても親に溺愛されている気持ち悪い男だったかもしれません。
当然彼女もいませんでした。
そんな家庭だったので、僕が就職して家を出る時、両親はことさらに寂しがりました。特に父親です。
母親は割り切りが早く、僕が家を出ると早々に自分の趣味の集まりに出かけていくようになりましたが、父親は子離れできず、よく僕に近況を聴く電話をかけてきていました。
母に聞いた話ですが、父は僕が家を出てからというもの、抜け殻になったように毎日ソファーに座って延々とテレビを観るようになったとのことでした。
異動で実家近くに住むことに
就職して最初の勤務地は実家から遠く離れた距離だったので、さすがに毎週帰るということはありませんでした。ですがこの時期でさえ、父は月に一回程度は新幹線に乗って一人暮らしの僕の家まで遊びに来ていました。
実は僕の最初の配属先が、父が大学時代に住んでいた場所だったので、懐かしんでいたことも一因だったようです。
父が遊びに来た時は、彼の通っていた大学に一緒に行ったり周辺を散策したりしていました。
就職してから数年後、人事異動が発令され、偶然にも実家から電車で2時間の場所に住むことになりました。
最初にこのことを父親に連絡した時は、無反応気味でしたが、もしかしたら内心では狂気乱舞していたかもしれません。
引っ越しも済んで最初の週末、さっそく父親から「こっち戻ってくれば?」とのお誘いが。まぁ、最初くらい良いかと電車で実家まで戻っていきました。この時点では、まさか毎週実家に帰るようになるとは思っていませんでした。
実家に着いて両親に会うとやはりうれしく、ご飯を食べながら近況報告に華がさきました。誰かにご飯を作ってもらうというのも、久々のことだったのでかなりリラックスできた時間でした。
その翌週はさすがに実家に帰ることなく、自転車で近所を開拓したりして過ごしました。
さらに翌週、誰かの誕生日(母親だったと記憶している)で再び実家に。家族で外食をして楽しく過ごしました。
ここからなし崩し的に毎週実家に帰るような流れになり、やがてそれが当たり前の習慣になっていきました。
実家で何をしていたのか
同期に毎週実家に帰っていることを話すと驚かれ、「そんなに帰ってもやることなくない?」と疑問に思われます。
実際、実家に帰っても大したことをしている訳ではなく、家族と一緒にテレビを見たり、ショッピングセンターに出かけたりと、本当にたわいもないことをしていました。
夜になると僕は一人でニンテンドー3DSの「スマブラ」に没頭していたので、家族の誰とも会話することもありませんでした。
せっかく実家に帰っているのに一人でゲームに没頭するのは理にかなっていませんが、特に両親から何か言われたことはありません。もしかすると彼らにとっては、僕が自分たちの見える範囲にいるということが重要だったのかもしれません。
普通社会人になると、実家に帰るのは「何か用事があって」のことだと思いますが、この頃の僕は実家に帰ることそのものが目的になっていたと思います。
電車で往復4時間、電車代も2000円以上かかるので結構バカになりません。
実家に帰ることに疑問を抱き始める
毎週実家に帰る習慣が1年ほど続いたころ、ふとこんな気持ちが沸き上がりました。
「毎週帰るのめんどくさいなぁ……」
往復4時間の時間の浪費もさることながら、実家に帰る電車の中は毎回超満員だったので、夏は汗だくになりながら帰っていました。
習慣というのは恐ろしいもので、1年間は、本当に何の疑問を持つこともなく、さながら毎日会社に通勤するがごとく実家への電車に乗り込んでいました。
毎週末の4時間を電車の中で過ごすということは、貴重な土日の時間の過ごし方としては疑問が浮かびます。時間が貴重な社会人にとっての週末の4時間は、かなりの希少資源を消費していたと感じています。
段々と「帰るのめんどくさいなぁ……」から、「帰るの辞めようかなぁ……」に変化していくのは時間の問題でした。
中々親に言い出せない
毎週実家に帰るのを辞めようかと考え始めていましたが、毎回帰ると喜ぶ父親の顔が浮かび、中々言い出せずにいました。
もはや帰るのが当たり前になっていたので、僕がある日突然「もう毎週帰るのやめる」と告げたら、かなりのショックを受けるであろうことは想像に難くないことでした。
毎回実家に帰る度に「今日こそ言おう。今日こそ言おう」と、まるで彼氏に別れを切り出す勇気を振り絞る乙女のような感情を抱いていました。
ついに告げる
その日は12月31日、大晦日でした。
当然のごとく実家に帰省していた僕は、家族で年末を過ごしていました。年越しそばも食べ終わり、さあ寝ようとなった段になって家の電気が消え、僕は自分の寝室に向かって歩き始めようとした時、言いました。
「もう毎週帰るのやめるわ」
勤めて冷静な声を出そうと意識していました。うまくできていたかはわかりません。
予想通りというべきか、最初に反応したのは父親でした。
「ええ! なんでや⁉」
その声には、哀しみというよりも純粋な驚きの響きがありました。
すると母親が助け舟を出すように言いました。
「まぁ、お金も時間もかかるしねえ」
母親はこの時点でもう僕が家に帰ることにあまり固執していなかったので、それほどショックを受けている様子はありませんでした。
「家族の誕生日や祝日には帰るようにするからさ」
それだけ言い、僕はそのまま寝室まで去っていきました。
この後、父親の胸にどんな想いが去来していたのかはわかりません。もしかしたら僕が思うほどショックを受けていなかったかもしれません。
帰らなくなった
僕が実家に帰らなくなってしばらく経ちましたが、土日に実家に帰っていた時間を有効に活用して、読書をしたりリラックスタイムを楽しむようにしています。
現在でも実家から2時間の場所に住んでいますが、あの大晦日の夜の宣言通り、家族の誕生日や祝日以外には実家に帰っていません。
もしかしたらいずれ両親が亡くなる時に、「あの時間実家に帰っていればよかった」と後悔することになるかもと考えたりもしますが、それはそれで仕方がないと思っています。
これは個人の価値観だと思いますが、成人して家を出た男性が毎週実家に帰るのはなんか違うよなぁ、と思います(そういった人たちを否定する気は毛頭ありません。あくまで僕の個人的な考えです)。
一昔前に「親が死ぬまでにしたい55のこと」という本が流行りましたが、宣伝文句では親が現在60歳の場合、あなたが親と会える日々はあと半年しかないというものでした。
これは、家を出ていて、実家に戻る日数が1年に数日という前提を元にした計算でした(具体的な計算方法は忘れました)。
そんな寂寥感を商売にするなんて商魂たくましいなと思いましたが(著者の方は純粋に啓蒙が目的だったかもしれませんが)自立する上での親離れはある程度は必要だろうなと思います。
毎週実家に帰ることはなくなっても、僕は毎回記念日にはプレゼント(主に食事とお金)を両親にプレゼントしています。
毎週実家に帰ることも大きな親孝行の一つだとは思いますが、僕がこれからさらに洗練された大人になるためにも、徐々に親孝行の方法も変えていきたいと思っています。
1年経って変わったこと
毎週実家に帰らなくなって1年が経ちました。その後の経過についてさらに綴ります。
社会人として家を出て、自分の稼ぎだけで暮らしていればもう「自立」は達成されたものだと僕は思っていました。しかし、しばらく実家に帰らずに過ごしているうちに「自立には段階がある」ということに気が付いてきました。
というのも、僕は毎週実家に帰っていたころ、生活する上で何を考える時も実家の両親のことを考えていました。例えばおいしい飲食店を発見したら「今度両親も連れてきて奢ってあげよう」とか、生活に役立つ便利グッズを発見したら「実家に送ってあげよう」など。
さらに会社で面白い事件が起きたり、同期が異動で隣の部署に入ってきた時も「今週末実家に帰ったら両親に話そう」と話しのネタストックを無意識のうちにしておりました。
別にこれらのことは悪いことだと思いませんが、そろそろ20代も後半に差し掛かろうという大の男としては、若干のファザコンマザコン感がぬぐえません。
現在は大分考え方が自分を中心になったと思います。
おいしい飲食店を発見したり、会社で何かしら面白い事件があったら「ブログに書こう」という思考になりました。
僕がこのブログを始めたのは実家に帰るのを辞めたころなので、日常で起こる様々な出来事を両親に話す代わりにこのブログに書くようになったのかもしれません。
自分が帰る代わりに、相手に来てもらうようにした
さて、僕が実家に帰らなくなると、よく実家の両親が「帰ってこいメール」を送ってくるようになりました。せっかく自分の時間を楽しむことができるようになったのに、あまり家に帰るのは気が進みません。かと言ってガン無視を決め込むと、両親がヒートアップしかねません。
そこで僕は自分が実家に帰るのではなく、両親にこちらまで来てもらうようにしました。つまり「帰ってこい」メールが来たら「僕の家の近くに良いレストランを発見したからそこでご飯を食べよう。驕るから」という風に返すことにしたのです。両親は僕に会うのが目的なので、僕が帰ろうが親が出向こうが変わりません。
こうすることでたくさんのメリットがあります。
メリットその①時間の節約
一番のメリットは「時間の節約」です。僕の家から実家の両親の家まで往復で4時間以上かかります。そうなると日帰りは難しいので実家に泊まることになり、週末のほとんどの時間を費やしてしまうことになります。
これを親に来てもらうようにすると、僕は親が来るまでの時間自分の家で好きなことができるため、移動時間のロスはありません。
そして僕の一人暮らしの家は誰かが泊まれるほど広くはないので、両親は僕と食事をした後はそのまま帰っていきます。つまり夜も僕は自分の家で好きなように時間を過ごすことができます。
メリットその②お金の節約
さらにお金の面でメリットもあります。実家に行って帰るまでの交通費が2千円近くかかっていましたが、これがほぼゼロになりました。
1年は52週なので、毎週実家に帰ると単純計算で年間10万4千円がかかっていたことになります。これがほとんどゼロになるのは大きなメリットです。
ですが、僕は両親にこっちに来てもらう時は食事代その他の費用は全てこちらで持つようにしています。
考え方としては
- 両親にはここまで来てもらう時間を提供してもらい
- 僕はお金を提供する
という持ちつ持たれつの関係です。
親の死後のことを考える
少し暗い話をしますが、親は自分より早く亡くなります。僕は今からそうなった時の準備を始めているのです。
僕が毎週実家に帰れば両親は喜ぶし、僕もそれはうれしいです。ですが、そんな生活をいつまで続けるのでしょうか。
社会人になると分かってきますが、ひとたび学校を卒業したら、その先の人生は自分が意識して変えない限り変わることはありません。
今の僕はまだ20代ですが、毎週実家に帰ったまま30代に突入し、そのままズルズルと実家に帰り続けていたら恐ろしい未来が待っているように思えるのです。
20代は未来に種をまく大事な時期です。そんな大切な時間を、毎週実家に帰ることに費やすことはあまり得策だとは思えません。
たまに帰るだけならいざ知らず、週末の時間は自己投資に使うべきだと思います。
いざ両親が亡くなった時、それまで実家で費やしてきた時間を自己投資しなかったことを後悔しても時すでに遅しです。
その時になって、両親に恨み節をぶつけても、もう彼らはこの世にはいません。
一度社会に出て独り立ちしたら、自分の人生プランを最優先に時間を使った方が良いでしょう。親孝行はそのおまけ程度に考えればよいと思います。
まとめ
この記事を読んで「自分のことしか考えない親不孝者」と思った方もいるかもしれません。ですが、社会に出て独り立ちしていくには多少の親不孝は致し方ないことだと僕は思います。
そもそも最大の親不幸とは、両親から自立できずにいつまでもくっついていることではないでしょうか。
親からすれば甘えられればうれしいのかもしれませんが、一生添い遂げることができない以上、それは子供の自立心を奪い将来を危うくする行為に他なりません。
僕もまだ親との距離感を図りかねているところですが、遅くとも30歳になるまでにはしっかりと方針を決定して付き合い方を決めていきたいと思います。この1年間は、それに向けた第一歩だったと言えるでしょう。